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学校紹介

阪神・淡路大震災から25年

 
                    震災前の校舎


 

 止まった時計
 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、マグニチュード7.2の大地震が兵庫県を中心に関西を襲った。この地震は、巨大都市を破壊する被害をひき起こした。 記録によると、死者が6,434人にのぼったのをはじめ、負傷者約35,000人、建物全壊84,421戸、半壊75,388戸、また地震後の火災で全焼した家屋は7,199戸という被害をおよぼした(平成7年7月データ)
    
    

 兵庫大学附属須磨ノ浦高等学校も被害を受けました。校舎の一棟が全壊したのをはじめ、二棟が半壊した。唯一奇跡的にも河野記念館だけは残りました。
 全壊した一棟は、二階部分が三階以上の階に押しつぶされたかたちで、直下型地震の威力を見せつけた。残された一階部分もとても危険な状態だった。
 半壊した校舎も各階の廊下に大きな穴があいていて、四階の廊下から一階がながめられるという状態。普通教室・特別教室合わせて70教室あるうち、なんと65教室が使えなくなってしまいました。


         兵庫大学内での仮設キャンパス

地震後約2年間、生徒たちは兵庫大学がある加古川キャンパス内に仮設校舎に通っていました。
生徒たちが須磨に戻ったのは、1996年(平成8年)12月24日、2学期の終業式を行なうためでした。1997年(平成9年)1月11日には内部行事として新校舎完成式が、その年の4月には外部の方々を招き、震災復興校舎完成披露式典が執り行われました。解体工事の後、24時間作業で14カ月にして新校舎の完成にこぎつけたのは、1日も早く学校を元通りにしなくてはという関係者の熱い思いと、並大抵ではない努力があったからこそです。

震災から25年。震災の記憶を風化させず、未来につなげていきたいと思います。

須磨ノ浦も震災から復興し、多くのことを経験しました。平成26年4月より校名を変更し、「兵庫大学附属須磨ノ浦高等学校」になり、新たな第1歩を踏み出しました。地域の方々に愛される学校を目指して、「STEP UP」していきたいと思います。


「笑顔のフェニックス」~須磨ノ浦女子高等学校復興への軌跡~
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★このマンガは震災を元に須磨ノ浦の経験を紹介しています。

2003年6月10日発行の「睦学園創立80周年誌 未来へ」に掲載された作品です。


★当時の新聞記事をまとめたものはこちらからご覧ください。
      →「新聞記事PDF